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「鬼滅の刃」の、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生は、人の心が本当にないのか?

 

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ワニ先生には人の心がないとなぜ言われる?

吾峠呼世晴先生 通称ワニ先生は、鬼滅の刃で容赦ない展開を描いている事から、人の心がないと言われてしまってる。

 

まず、鬼滅の刃の登場人物は、鬼殺隊にしても鬼にしても悲惨な過去を持ってるキャラが多い。

 

 

そのうえ、例え人気のあるキャラクターであろうと、「鬼滅の刃」では無慈悲に命を落としてしまうし、特に無限城編はそんな展開が続いていた。

さらに、鬼舞辻無惨のような絶対悪とも呼べる存在が、「鬼滅の刃」ではラスボスとして君臨していた。

 

だから、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生は鬼滅の刃で、読者の心を抉りに来るような展開を描いている事から、「人の心がない」と言われてしまってるのだと思う。

 

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ワニ先生は本物の鬼じゃない?

とはいえ、吾峠呼世晴先生ことワニ先生は、以下の理由から本物の鬼とも言われるような人の心がない人物ではないとも思う。

 

 

炭治郎の存在

 

「鬼滅の刃」の竈門炭治郎は、人間の善性の塊とも言える主人公。

そんな善性の塊とも言える炭治郎を生み出している時点で、ワニ先生に人の心がないとは思えない。

 

 

キャラの描写

「鬼滅の刃」だと、無限城編で時透や玄弥が命を落としてしまう展開等で、「本物の鬼」とか「人の心がない」とワニ先生は言われてる。

 

だけど、無限城編で命を落としてしまう時透は、最期は今際の際に兄である有一郎と和解することが出来た。

玄弥にしても、不死川は玄弥の今際の際に立ち会えていたし、和解する事も出来ている。

 

だから、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生に人の心がないなら、そういう展開も描かないのではないかと思う。

 

 

鬼の描写

「鬼滅の刃」では、累や猗窩座みたいな人間時代に悲惨な過去がある鬼は、最後に救いはある事が多い。

その一方で、魘夢や半天狗のような人間時代から悪人だった鬼は、救いがないまま倒されてしまっている。

 

だから、鬼に対しても救いを与えることが多い「鬼滅の刃」で、悪人にはきっちりと報いを与えているあたり、「本物の鬼」かもしれないけど「人の心がない」とは思えない。

 

 

吾峠呼世晴は聖人なのか?

ただ、「鬼滅の刃」では容赦ない展開が多いので、それを描いている吾峠呼世晴先生ことワニ先生は、聖人とは言い難いかもしれない。

だけど、吾峠呼世晴先生ことワニ先生は人の心を分かっているからこそ、それを的確に抉って来る展開を描いているのだとも思える。

 

「鬼滅の刃」で、読者が辛いと感じる展開も、おそらく吾峠呼世晴先生自身の心を抉ってるのではないかと思う。

そして、自分自身が辛いと思う展開だからこそ、あえて妥協せずに容赦なく描写してるとも考えられる。

 

 

ワニ先生には人の心がないのかまとめ

吾峠呼世晴先生 通称ワニ先生に人の心がないのかというと、あると思う。

だけど、自身が辛いと感じる展開だからこそ、「本物の鬼」と言われようと容赦なく描写しているのだと考えられる。

 

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