風立ちぬでの最後のシーンは
「風立ちぬ」テレビ初放送は今週金曜夜9時ですぅ!「あ、今日だったんだ…」と後から気づく方を少しでも減らすためにRTなど情報拡散をお願いしますーT^T宮崎駿監督の長編引退作品ですから。 #風立ちぬ #ジブリ #kinro pic.twitter.com/PakdRMAHln
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) 2015年2月17日
二郎が夢の中でカプローニと共に
草原にいたシーンとなっていて、
その後に菜穂子も草原に登場してたけど、
風立ちぬの最後のシーンは
一体どういうことなのだろうか?
風立ちぬの最後で菜穂子はどうなってるの?
風立ちぬの最後のほうで
二郎の夢の中の草原に菜穂子が登場してたけど、
結局のところ最後菜穂子はどうなったのか?
これについては風立ちぬの劇中でも
菜穂子は結核を患っていたわけだし、
結核は当時の医療技術では
治療することができない病となっていた。
それに
風立ちぬの最後の草原のシーンの前に
菜穂子が手紙を残して黒川家を出て
病院に行ってると思わしきシーンがあったことから、
菜穂子は結核によって
この世を去っているのだろうと推測しているし、
故人となっているからこそ
二郎の夢の中に出てきているのだろうと思う。
(なぜ手紙を残して病院に行ったのかについては
愛する人には美しい姿だけを見せたかったから
と推測がされている。)
風立ちぬの最後はどういう意味があるの?
風立ちぬの最後のほうで二郎は夢の中の草原で
カプローニと再び出会うのだけど、
その時の会話の意味としては、
二郎は幼少期のときに
飛行機の設計士になるという夢を抱いて
その夢を叶えることができたのだけど、
二郎が設計した美しい飛行機である零戦は
兵器として戦争に使われてしまっていたし、
1機も戻って来ることがなかった。
このことを踏まえると
設計士となって美しい飛行機を作るという
夢をかなえることができたけども、
その夢が必ずしも人に幸福をもたらしたり
いい結果を残すとは限らない
ということなのだろうと思う。
風立ちぬの劇中においても
そんな矛盾は幾度となく突きつけられていたし、
二郎もそれを理解したうえで
夢を選んだんだろうなと思う。
そして風立ちぬの最後で
草原の中でカプローニや菜穂子が出た夢は
おそらく終戦後に見たものだろうと思われるし、
二郎の設計した飛行機が戦争で使われ
それでも敗戦・終戦を迎えてしまい
二郎の心には虚無感が生まれていたのだろうと思う。
だからこそ心がぽっかり穴が開いた状態の二郎の夢に
菜穂子が現れて
生きて
と言ったのだろうと思われる。
ちなみのこの「生きて」という最後のセリフは
最初のほうは「来て」
だったという話だけども、
鈴木敏夫プロデューサーの強い薦めで
生きて
に変更されたということだった。
おそらく「来て」の場合だと二郎は
すでにこの世を去っていて
あの世とこの世の境目という感じだから、
来て
というセリフになるのかもしれないけど、
戦後の夢だと考えた場合は
二郎は妻を失って自分が設計した飛行機も
戦争に使われて戻ってこなかったことで
虚無感を抱いてる状態だけども、
どんなに辛かったとしても
その後の人生を生き続けてほしいから
生きて
となってるのかなと思う。
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風立ちぬの最後のシーンまとめ
風立ちぬの最後については以上。
夢というのは叶えたからといって
それがいい結果や人の幸福に
つながるとは限らない。
そんな考えが風立ぬの最後には
込められているのかもしれないけど、
それでも人は生きて前へ進まないといけないのかもしれない。